仕事の重要性「神も仕事をしてるって本当?」

仕事の重要性
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はじめに

今日は、仕事の重要性について聖書から説明します。

あるネットの記事に「労働は悪」である三つの理由が書いていました。

  1. 働かない方が所得が高い
  2. 働くほどバカを見る社会
  3. 労働人口が減った方が社会発展につながる

確かに、今の社会の歪みを的確に捉えており、同感できる点がありました。

しかし、今までの記事で見てきたように、仕事自体は悪ではなく、仕事が悪になったのは罪が原因だと聖書は言っています。

そして、一つ気になることがあります。
もし、仕事が良いものならば、神も仕事しているのではないのか?と。

皆さんは、どう思いますか?

今日の記事を読むと「神は仕事をしていたのか?」を聖書から知ることができます。

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今日は、二つのポイントでお話しします。

①仕事をする神

まず、聖書には驚くことが書いています。
それは、神は仕事をしているということです。

「え?」と思いますよね?

私たちの神のイメージって何か仙人のようなおじいちゃんか、人をさばく王様。
優しい物体。光。何かすごいものみたいな感じでしょう。

少なくても、神が働くイメージなんてありません。

しかし、聖書をよーく見てみると、確かに神は働いています。

まず、聖書の一番最初の創世記という書、そのイッチバン最初。
天地創造に根拠があります

神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。

聖書(創世記2・2-3)

「わざ」と訳されているヘブル語の「マラカー」は、本来、仕事やビジネスという意味です。
わざと聞くととても聖なるイメージですが、神様は創造の仕事をされたと言った方が理解しやすいのです。

神様は創造に6日間を費やしました。

なぜ、一瞬でしなかったのでしょうか?

これは、私たちに6日の労働、1日の休息というスタイルの模範を示されたとも言えます。

同じく聖書の前半、旧約聖書のエレミヤ書には、「マラカー」が仕事と訳されている箇所があります。

主はその倉を開き、その憤りの武器を持ち出した。それは、カルデア人の国での、万軍の神、主の仕事だ。

聖書(エレミヤ書 50・25)

ここでははっきり、「主の仕事」と書いていますね。

主とは神さまのことです。

字義通り受け取るなら、神様は働いている。仕事をしているということになります。
驚きですね。

では、聖書の後半部分、新約聖書にも目を向けてみましょう。

新約聖書にも、働く神が書いているのでしょうか?

はい。

イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」

聖書(ヨハネの福音書5・17)

わたしの父とは、神のことです。

しかも、三位一体の神である、イエス・キリストご自身も「働いている」と言われました。

まあ、ここでの「働き」がどういう意味なのかについては学者の中でも議論になっているのですが、ここでは、神様は黙ってじっとしているのではなく、働いておられるということがわかれば大丈夫です。

考えてみれば、創世記では、神は設計・造園の仕事をしていましたし、イエス様は30歳まで大工として働かれました。

②大工だったイエス・キリスト

キリストが、30歳まで大工をして生計を立てていたということを知っていますか?

この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。

聖書(マルコの福音書6:3)

実際、この大工の経験は、キリストのスピーチにも影響が出ています。

彼は社会の人々の関心を引く話を聖書から連発していました。

イエス様は宗教的な専門用語を使わず、社会の人々が普段使う表現を多用しました。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

聖書(マタイの福音書11・30)

ここでの「くびき」は農業の用語。
「荷」とは建設業者が使う用語です。

イエス様の家を建てるたとえは建設関係の仕事をしている人にはとても理解しやすかったでしょう。

ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。

聖書(マタイの福音書7・24)

イエス様はぶどう園のたとえで雇用と人事管理の話を使っています。

天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。

聖書(マタイの福音書20・1)

イエス様はタラントの話で投資、商売、そして銀行預金まで例にあげました。

彼はそれぞれその能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。するとすぐに、五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。

聖書(マタイの福音書25・15-16)

なぜ、イエス様はこのようなビジネス用語を知っておられたのでしょうか?

30歳までの間、ずっと大工をして働いていたからです。

また、当時の大工は、今の大工のイメージよりももっと広い意味を持つそうです。
建築業者や不動産ディベロッパーも含まれます。

つまり、イエス様は毎日のこぎりで材木を切って運び、家を建てるという職人的な仕事だけではなく、建築業者を取りまとめ、イスラエルの土地開発なども政府から請け負っていたかも知れないのです。

図面を見るだけではなく、法律も勉強し、人々と一緒に働くために会議をこなし、雇用管理も行っていた可能性も十分あるのです。

現代にいたならば一級建築士や宅地建物取引業の資格も勉強して取っていたでしょう。

まとめ

それでは、今日の話をまとめましょう。

聖書には二つのことが書かれています。

  • ①仕事をする神
  • ②大工だったイエス・キリスト

つまり、神ご自身は仕事をしているということです。

このことは私たちの仕事観にも大きく影響を与えそうですね。

次回は、では神は「どのように働いているのか?キリストのサーバントリーダーシップ」について聖書から説明します。
乞うご期待!

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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